世の中のためって?3

次に。私がストローの使用をやめたことに、共感してくれる人が増えてきたとします。

さて、これをどうとらえますか?

「みんなが私に影響されてストローをやめてくれたわ!」

なぁんて思いがちじゃないでしょうか。はい、これ、ブブー。ダメなんですね〜

我らが師匠は、「やってやった、というのは絶対ダメだ」とおっしゃいます。

確かに、私の行動をみて、それに共感して一緒にストローをやめてくれたら、それは『私という外気』の影響でしょう。

でも、ここで気をつけないといけないことがあります。

私がストローの使用をやめたことに共感して一緒にストローを使うのをやめてくれた方、仮にAちゃんとします。

Aちゃんがストローを使うことをやめたのは、Aちゃん自身が「自分もやってみよう」と、自分を変化させたからです。

『私がストローを使うのをやめた、という外気』を受けても、変わらない人はたくさんいます。

一緒に始める、というのは、その本人、Aちゃんの内気が変化したからです。

はい、社会運勢学を学んでいる方はご存知の通り、「いつも内気が先」なんです。

どんなことも、自分の決意から始まります。

人から影響されて始めた、と思いがちですが、それは違います。自分がやろうと思ったから始められるんです。

じゃあ、最初にストローを使うのをやめた私は、どう考えればいいのか。

「私がAちゃんに影響を与えた」のではなくて、「私はAちゃんが決意するきっかけにならせていただいた」んです。一方的に私が影響を「与えた」のではなくて、Aちゃんがストローをやめてくれたことで「Aちゃんが決意するきっかけになるような自分」になれた、ということを「教えていただいた」というわけです。

そして、前回も書いた通り、Aちゃんが一緒に始めてくれたおかげで、私自身も「もっと減らしてみよう」と思うかもしれないし、「もっと継続させよう!」と思うかもしれない。私自身の変化につながっていくんですね。

こうして内気と外気が影響し合う状態になっていきます。

ということは。自分も変化しないと、この輪はまわらない、ということです。

もちろん、周りの人のために活動すること、人のために少しでも役に立ちたい、ということは、とても大切で素晴らしいことです。

ただ、その先があるということ。

そこで内気と外気の輪を途切れさせないようにするために、自分の受け取り方に注意したい、ということなんです。

では、なぜ「やってやった」はダメなのか。

それと「世の中のため」とどう繋がるのか。

それは、仏教と心理学に答えがあります。

 

またまた続く!

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