さて。『さとり』を開く。言葉としては、ほとんどの方がご存知ですよね。
では、『さとり』とは?
「ブッダの説法の根本は、その悟りの体験を言語化して伝え、人々をその境地に導くことにあったとされる。この悟りに到達することが、後代に至るまで仏教の根本目的であるとされる。」
ウィキペディアから引っ張ってみました。おー、なるほどー、わかったよ!という方は、たぶんいらっしゃらないと思います。
まずだいたい、『さとり』とは何かって、さとった人にしかわからないですよねー
で、仏陀(=さとりの境地に達した者)は、この世でお釈迦様ただひとりなわけです。
残念!終了!・・・というわけにはいかないので、まずはお釈迦様がさとりを開かれた時の様子を書いてみます。
「シッダールタは王族としての安逸な生活に飽き足らず、また人生の無常や苦を痛感し、人生の真実を追求しようと志して29歳で出家した。」
これもウィキペディアからお借りしましたが、そうです、お釈迦様は王子様だったんですよ。なのに、その地位を投げ出して、6年もの間、苦行をされたそうです。さとりを開くために。すごいですよね。もうこの段階で、真似できません😔
で、苦行って、ウィキペディアによれば、
呼吸をしばらく止める修行
太陽の直射日光を浴びる修行
座ろうとすれば後ろへ倒れ、立とうとすれば前に倒れたり、片足立ちをするなどの激しい肉体運動
減食によって食欲を抑制する断食修行 など。
と書いてあるんです。など、ですよ。他にどんな苦しい修行をされたんでしょうね💦 この苦行をすることでお釈迦様は『さとり』を開かれたんでしょうか。
いいえ、お釈迦様は、苦行では『さとり』を開けない、ということを悟られたんです。
「えーー!滝行とか、今でもあるけど、それでは悟れないんだ!」(私の心の叫び)
結構ショックですよね。でも、本当にそうなんです。村山先生も、「滝に打たれるぐらいなら、会社で人間関係に悩んだり、嫁姑バトルをしてるほうがよっぽど修行になる」と仰ってました。
ちょっと修行が身近に感じられませんか??
話を戻して。では、お釈迦様はどうされたんだろう・・・と思いますよね。
お釈迦様は、断食修行で生死の境をさまよい、川に流されてしまったそうです。そして、川を流れるお釈迦様を、スジャータという村娘が助けて、お釈迦様に乳粥を食べさせて蘇生させたそうです。
スジャータさん、あのスジャータは、ここから命名されたそうですよ。余談ですね。
それで生き返ったお釈迦様は、菩提樹のもとで瞑想し、『さとり』を開かれたそうです。
続く!