義母が亡くなりました。

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母危篤の知らせが入ったのは、1月の辰の日の線路の時間。その日の夜を越せるかどうか、というお話でした。でも、線路で入ってきた連絡、「きっとまだ大丈夫!」と思った通り、母はその後、奇跡の回復を遂げ、意識を取り戻しました。

しかし、だんだん意識がなくなり、寝ている姿が痛々しくなっていきました。「線路だったんだからきっと元に戻るはず!」と思っていましたが、痛々しい母の姿に、「母がもし辛いなら、もう頑張らなくていいよ」という思いに変わっていきました。

そして、先日、母は亡くなりました。

母は、5-③。五黄の中では最もワガママな生まれ。その通り、いろいろ要求が多く、周りにいる人は振り回されてきました。でも、五黄らしく、様々な辛いことを乗り越え、家族のために尽くしてきたことも確か。目が不自由だった義父のために尽くしてきたのですが、17年前、義父が交通事故で突然亡くなったことで糸が切れてしまったようです。その後、母は施設に入所しました。それが約10年前のこと。

もし、その時に気学に出会っていたなら、きっと、もっと母といい関係でいられたと思います。でも気学に出会ったのは5年前。今の私だったら、あの時迷わず一緒に暮らしただろうなぁ…と、母に申し訳ない思いでいっぱいでした。

通夜の日、方位は本命的殺。泊まりだったので、日盤吉方は意味をなしません。でも、少しでも気持ちよく母を送りたかったので、日盤吉方を取って向かいました。この日、私が取れる吉方は一白のみ。それもなんだか意味があるような気がしました。

葬儀場に到着して、母と対面しました。可愛かったんです。今まで見たこともないほど、可愛い顔で寝ていました。母の最期の時、義弟夫婦と甥っ子が看取ってくれたのですが、それが嬉しかったのかなぁ。

長男の嫁である私に子供ができなくても、一言も責めることなくいてくれた母。一緒に暮らしたい、とも言わずにいてくれた母。母が施設に入ったことで、そこで義弟と甥っ子と会う機会を持つことができ、母に会いに行く時の方位の作用も体感することができました。いろいろたくさん、感謝の気持ちが押し寄せてきます。一緒に暮らすことができなかった後悔や懺悔の気持ちよりも、感謝のほうが大切、本命的殺は、それを教えてくれた気がしました。

図らずも、母のお気に入りの紫のドレスを棺に入れることができ、遺影も紫の着物、お花も紫、火葬場の番号も2番、最大吉方づくしで旅立って行きました。

村山先生の「盂蘭盆会」のお話を実感した葬儀でした。

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