阿吽

最近、気学仲間に教えてもらった「阿吽」という漫画を読んでいます。最澄と空海のお話なんですが、これが凄いんです。司馬遼太郎さんの「空海の風景」という本は読んでいて、これは伝記的な小説といった感じの本なのですが、「阿吽」は、それプラス言葉で表現できないもの、心模様とか、その時の空気感とか、そういったものまで絵で表現している感じです。これを書いているおかざき真里さんという方はすごい人だな、と思います。

今、出ているのは11巻まで。最澄が胎蔵界結縁灌頂を受けるところです。11巻の中で一番印象的だったのは、空海が「我は書くだけ。それを美しいと思うのは、受け取る側の阿頼耶識の美しさだ。」と言っているところ。

密教は全肯定の世界、ということなんですが、

起きた出来事が自分にとって嫌なことだと見えるのは、自分の中に悪があるから。自分の中の悪が取れないのは自分の中の宝物を見つけていないから。

これが密教の考え方なんだそうです。難しいですね💦 私はこれを、「起きてくる出来事は、どんなこともすべて自分にとっていいこと。自分にとって嫌なことが起きるのは、そこを変えないといけないよ、と教えてくれているということ。」というふうに解釈しています。・・・今のところ😅

たぶん、そう決意できるかどうか、が大切なんだと思います。どんなことも起こった出来事は、全て自分を成長させてくれるために起こった出来事だと思えるかどうか。おなかのそこからズシンとそう信じることができたら、それは密教なんだろうと思うんです。そして、村山先生の気学は、ずっとそれを教えてくださっていたと思います。

もちろん私はそんな域にはまだ達していないけれど、少しでも近づけるように頑張ろうと思います。

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