シン・エヴァンゲリオン1

公開延期になっていたシン・エヴァンゲリオン、ようやく公開されましたね!

エヴァンゲリオンの感想を書きます!と宣言してましたが、実は私、観始めたのは、つい最近のことなんです。確か、昨年くらい・・・💦 エヴァンゲリオンは1995年に始まったアニメが最初で、その後、映画が何作か制作されています。漫画もあるようですね。私はどれも観たことがなかったのですが、社会現象を巻き起こしたと言われている作品に意味がないはずはない、と思い、観始めました。

で、新劇場版:序・破・Qを観て、その後アニメを観ました(まだ全部見きれてないのですが💦)。それぞれ、感じたことは山ほどあるのですが、全部書くのは無理ー💦 ということで、今回は「シン・エヴァンゲリオン」の感想に絞って書くことにします。それも、ほぼ終盤の話に限定して・・・。言うまでもなく、映画の内容を書いてしまいますので、まだ映画をご覧になっていない方は、観てから読んで下さいねー!

まず大前提として、私は、エヴァンゲリオン序・破・Qと、アニメの一部だけしか観ていないので、その中だけでの感想しか書けません。わからないこと、書ききれないことがたくさんありますが、単純に私が感じたことを書いていきます。「解説」ではないので、その点はご容赦をー!

映画は、Qの続きから始まります。ニアサード・インパクトが起こり、人類の大半がいなくなった世界。そこでは、生き残った人々が村を作って暮らしています。シンジ、アスカ、アヤナミレイ(そっくりさん)と、中学校でクラスメイトだったトウジ、ケンスケ、クラス委員長だったヒカリとが再会。エヴァパイロット以外の3人は、14年の歳月を経て大人になっていました。私はここで、アヤナミレイのそっくりさんに惹きつけられました。畑仕事など、「命令」がなくても生きていられる世界を初めて体験するそっくりさん。普通の人間の暮らしの中で、彼女は「感情」を学んでいきます。アスカはそっくりさんに、「第3の少年に好意を持つように感情を仕組まれてるだけ」と冷たく言いますが、私達現実の人間も、ある意味仕組まれています。その仕組みの一つが、名前です。「名前」というのは、ある意味、人を規定している仕組み。「名前がないのは困るから自分で名前をつけて」と言われたそっくりさんが、「自分で名前をつけていいの?」と驚く場面があります。それは、「仕組みを壊していいの?」という驚きだと捉えました。

その後、そっくりさんはLCL化してしまい、姿形を失います。残ったシンジとアスカはAAAヴンダーに。AAAヴンダー内では、ミサトとリツ子が「種の保存室」にいます。人類補完計画を実施しようとするネルフ、碇ゲンドウに対抗するための戦艦であるAAAヴンダーは、もともとは「種の保存」のために作られたものだったのです。要するに、「ノアの方舟」。人類補完計画でノアの方舟が必要になるような事が起こる。でも、加持リョウジは種を残そうとした、ということですね。

ミサトはその集めた「種」を、宇宙に放出。AAAヴンダーは命を残す方舟ではなく、命を救う戦闘艦となる、と言って。そして、フォースインパクトを目論むゲンドウを阻止すべく、旧南極エリアへと向かいます。そこでネルフの戦艦と戦うのですが、途中、ミサトやシンジ達がゲンドウと直接対面する場面があります。ゲンドウは、人類補完計画がミサトの父によって考えられたこと、世界の浄化が目的であること、それはもう止められないのだ、ということを語ります。しかし、ミサトとリツ子はそれに反論するのです。「絶望ではなく、希望のコンティニューを選ぶ。人間の意志で変える!」と。

その後、ゲンドウはフォースインパクトを起こすべく、マイナス宇宙へ。そこはAAAヴンダーでは追いかけていくことが出来ない領域。そこで、シンジがエヴァ初号機で向かうことになります。自分の落とし前をつけるために。マイナス宇宙で二人は「ゴルゴダオブジェクト」という場所に到達します。そこは、運命を変えることが出来る唯一の場所。シンジとゲンドウは、初めて会話をします。そこでゲンドウの心情が吐露されるのですが、それは一人の人間の孤独感。シンジやアスカが抱えている心の闇と同じものをゲンドウも抱えていたのです。ゲンドウは、ATフィールドのない世界、格差もいじめも恐怖も悲しみも争いもない世界を構築できるんだ、といって、人類補完計画を発動しようとします。それは理想の世界のように思えるけど、そうじゃない。ゲンドウが孤独を感じなくて済む世界。逃げているだけですね。人類補完計画を発動しなくても、格差もいじめも恐怖も悲しみも争いもない世界は構築できるはず。人間の意志によって。ミサトとリツ子が目指したのは、それなんだと思います。

この時、シンジは、ゲンドウに「弱さを認めればいいんだ」と言います。現実のこの世界の中にも、シンジやアスカ、ゲンドウのような人がたくさんいると思いますが、みんな、自分の弱さを認めたくないから鎧を着てしまうのでしょう。その鎧が、自分を守るものでなく、自分を拘束するものになってしまっても。その鎧、拘束具がエヴァンゲリオンなのだと思いました。でも、現実の世界の人間も、もうエヴァンゲリオンから卒業しなければならないのだと思います。自分の弱さを認めることは、とても勇気のいること。だけど、「ありのまま」に生きようと思うなら、弱さも含めた本当の自分をそのまま認めなければ、ありのままに生きることにならないのではないでしょうか。劇中で何度も「自分のやらかしたことの責任を取る」という言葉が語られます。また、リツ子は「罪は、自分の意志で償わなければ意味がない」と言います。今の自分の人生は自分が作ってきたんだ、と認めることが、最初の一歩になるのではないでしょうか。

渚カヲルが「定められた中で演じることを永遠に繰り返している」と語る、いくつもの棺が輪になっている描写が出てきます。もう、いい加減、その輪から離脱したらどうだ、と言っているような気がしました。鎧を着て、自分を偽って、自分で自分を不幸にしている世界から、勇気を出して脱出しよう。アニメの最終話で、自分を認めたシンジがみんなに祝福されているところから一歩進んで、弱さを認めた自分のままで現実の世界に踏み出そう。ラストの実写場面は、そんなふうに見えました。

ここまで、現実に即して書いてみました。次は、もう少し別の視点から書いてみます。

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