世の中のためって?4

仏教と心理学、難しそうですよね。

正直、うまく説明できる自信はまったくありません。というか、ほとんど勉強できてません。私が師匠の仏教塾に通ったのは、ほんの1年くらい・・・。それでも、目からウロコがどれだけ落ちたことか!

この状態で仏教を書こうなんて、なんと無謀な!と、恐れおののいていますが、あえて無知な私のまま、その驚きと感動、私が師匠の教えをどう受け取ったか、という視点で書こうと思います。仏教と心理学に詳しい方からしたら噴飯物だと思いますが、そこはご容赦を💦

まず、仏教というと、えっ、お葬式でしょ?というイメージですよね。私はずっと「亡くなった方をお経であの世へ送るお仕事」と思っていました。今、日本で仏教といえば、大半の方は「お葬式や法事でお世話になる」というイメージしかないと思います。

ところが。違うんですね〜

まず、仏教はインドで生まれたものです。お釈迦様が開祖と言われています。お釈迦様は、釈迦族の王様のご子息でした。お名前は、ゴータマ・シッダールタ。聞いたことありませんか?仏陀(ブッダ)というのは「さとりの境地に達した者」という意味で、仏陀はゴータマ・シッダールタさんただ一人。「お釈迦様」と呼ばれるのは、ゴータマ・シッダールタさんが釈迦族の王子様だったからだそうです。

えー、お釈迦様がどうして『さとり』を開かれたのか、とか、仏教の歴史、などはすっ飛ばします。ご興味のある方は、ぜひ一緒に勉強しましょう♪

で、その仏教。お釈迦様は、ご自身が『さとり』をひらかれたことを、弟子たちに説いています。お釈迦様がお亡くなりになった後、弟子たちがお釈迦様の教えを世の中に伝えようとしたことが宗教になっていったようです。それがお経の中に書いてあります。例えば、有名な「般若心経」の中に「舎利子」という言葉が出てきますが、これ、人の名前なんですよ。お釈迦様が、弟子である舎利子さんに教えを説いている、という形になっています。

要するに、「信仰」ではなく、「お釈迦様の教えを実践して、『さとり』を開く道」を説いているんです。

ということは、仏教は亡くなった方のためにあるものではなくて、生きている人のための教えなんですね。いや、生死も超えている、と言えるかもしれません。

日本では一般的に、仏教といえば「宗教」と捉えられていますが、学問としての仏教、「仏教哲学」は、今、ドイツが最も進んでいるそうです。ですから、日本からドイツまで仏教を学びに行かれるお坊さんもいらっしゃるそうですよ。私はそんなことはまったく知らなかったので、本当に驚きました。

で、私の師匠、村山先生は、この仏教哲学を教えてくださったんです。

 

力尽きました~💦 続く!

 

世の中のためって?3

次に。私がストローの使用をやめたことに、共感してくれる人が増えてきたとします。

さて、これをどうとらえますか?

「みんなが私に影響されてストローをやめてくれたわ!」

なぁんて思いがちじゃないでしょうか。はい、これ、ブブー。ダメなんですね〜

我らが師匠は、「やってやった、というのは絶対ダメだ」とおっしゃいます。

確かに、私の行動をみて、それに共感して一緒にストローをやめてくれたら、それは『私という外気』の影響でしょう。

でも、ここで気をつけないといけないことがあります。

私がストローの使用をやめたことに共感して一緒にストローを使うのをやめてくれた方、仮にAちゃんとします。

Aちゃんがストローを使うことをやめたのは、Aちゃん自身が「自分もやってみよう」と、自分を変化させたからです。

『私がストローを使うのをやめた、という外気』を受けても、変わらない人はたくさんいます。

一緒に始める、というのは、その本人、Aちゃんの内気が変化したからです。

はい、社会運勢学を学んでいる方はご存知の通り、「いつも内気が先」なんです。

どんなことも、自分の決意から始まります。

人から影響されて始めた、と思いがちですが、それは違います。自分がやろうと思ったから始められるんです。

じゃあ、最初にストローを使うのをやめた私は、どう考えればいいのか。

「私がAちゃんに影響を与えた」のではなくて、「私はAちゃんが決意するきっかけにならせていただいた」んです。一方的に私が影響を「与えた」のではなくて、Aちゃんがストローをやめてくれたことで「Aちゃんが決意するきっかけになるような自分」になれた、ということを「教えていただいた」というわけです。

そして、前回も書いた通り、Aちゃんが一緒に始めてくれたおかげで、私自身も「もっと減らしてみよう」と思うかもしれないし、「もっと継続させよう!」と思うかもしれない。私自身の変化につながっていくんですね。

こうして内気と外気が影響し合う状態になっていきます。

ということは。自分も変化しないと、この輪はまわらない、ということです。

もちろん、周りの人のために活動すること、人のために少しでも役に立ちたい、ということは、とても大切で素晴らしいことです。

ただ、その先があるということ。

そこで内気と外気の輪を途切れさせないようにするために、自分の受け取り方に注意したい、ということなんです。

では、なぜ「やってやった」はダメなのか。

それと「世の中のため」とどう繋がるのか。

それは、仏教と心理学に答えがあります。

 

またまた続く!

世の中のためって?2

私一人がストローを使わなくなったとします。

「ねーねー、環境のためにストロー使うのやめた方がいいよ!」言いたくなりますよね〜。あら?ならない?私が六白だからかしら(^-^;

人から強制されて、気持ちよくやってくれる人はあまりいません。そうじゃないですか?

じゃあどうしたらいいか。

「あの人がやってるなら、私もやってみようかな?と思われるような自分」になるしかないんです。

やっぱり、人から信頼されるような自分にならなければ、そんな風に思ってもらえないですもんね。

ずっと続けていたら、「あれ?ストロー使わないの?」と興味を持ってくれる人が出てくるかもしれません。「私もやってみよう!」と、言ってくれるかもしれません。そうしたら、私の行動が他の人に影響を与えたわけですね。嬉しいですよね〜

でも。これ、私が一方的に相手に影響を与えたわけではないんです。

どういうことかというと?

「私もやってみよう」と言ってくれる人がいるおかげで、私自身も「もっと減らしてみよう」と思うかもしれないし、「よし、これをもっと継続させよう!」と思うかもしれない。一緒にやってくれる仲間ができたら、続けやすいですよね。

やっぱり内気と外気は影響し合うんです。

そうやって仲間がどんどん増えていったら、影響力もどんどん大きくなっていくわけです。蟻の一穴岩をも崩す。

私一人の小さな変化が、世の中を動かす大きな力になる可能性を秘めている、ということです。

まだまだ続く!

世の中のためって? 1

世の中を良くする、世界のすべての人の幸せのため

うーん、そんなの私には無理~

っとお考えの方は多いと思います。そりゃあそうですよね。

自分のことは投げ打って世の中の為の活動を!とか、そういうことを連想しますよね。

そりゃ、無理ですよ~。私だって無理です💦

えっ、だってブログにそう書いてたじゃん??って?

まぁ、そう書いてました。

でも、「世の中のため」って、そういうことではないんです。

では、世の中のためって?

ものすごく簡単に言うと、「自分を整えること。」「自分」を整えることが、世の中のためになるんです。

…わからないですよね。

この、自分を整える → 世の中のためになる の間を説明するのがものすごく難しいんです。

まず、第一段階から。

気学を学ばれている方ならご存知の通り、「気」には、「外気」と「内気」があります。内気は常に内側、外気は内気を含んだ外側。例えば私を外気だとすると、内気は膵臓とか肝臓とか心臓とか脳とか、ということになります。では今度、心臓を外気としたとしましょう。そうすると内気は、右心室、左心室、血管、血液などなど、そのもっと内気は、細胞、そのもっと内側は…と、どんどんミクロになっていきますね。

では逆に、今度はマクロで考えてみましょう。私が内気だとすると、外気は、例えば江東区。では江東区を内気にすると、外気は東京都。どんどん大きくしていったら、外気は宇宙、ということになりますね。

何が言いたいのか。

常に内気と外気は影響しあってるんです。

内気である内臓が病気になったら、もちろん外気である私に影響が出ますよね。では、私が内気だとしたら、私がバリバリ働いてすごくたくさんの税金を納めたとしたら、外気である江東区に多少なりとも影響がありますよね。刑務所から脱走した犯人、個人ですけど、地域にすごく影響与えてますよね。

うーん、わかりにくいかな。

例えば、ストロー。

今、世界的にストローをやめようとか、他の素材に変えようという動きがありますね。

日本国民が全員、毎日一本ストローを使っているとします。

たった一人が、「私、金輪際ストローは使わないわ!」と決意したとします。一週間で7本ですね。

でも、「まったくストローを使わないのは難しいから、週に一日だけ使わない日を作ろう」という人が10人いたとします。10本ですよね。

私一人がほんのちょっと変えたって、何にも変わらない…というのは間違っている、ということです。

もちろん、大きな決意は素晴らしいけど、ほんのちょっとだけ変えてみる、ということも大事なんですよ。

内気が変われば、必ず外気も影響を受けるんです。

続く!

連続で仮吉方に出た理由

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年盤の吉方(引越し)は、本来、戻ってきてからだいたい2年くらい同じ場所に住むことでフルチャージされる、というイメージです。帰って来てから3ヶ月間同じ場所に住んでいないと、吉方は取れなかったことになります。

なのに、私はニュージーランドまで吉方を取りに行って7ヶ月で次の仮吉方に出てしまいました。

みんなに「どうして??」「もったいないよ!」と言われ、「何かあったの?」と、心配していただきました。中にはわざわざ心配して来てくださった方もいらっしゃいます。そのお気持ち、本当にありがたく、心から感謝しています。くどいようですが、なのに!仮吉方に出てしまいました。

なぜ??

実は私も、最初はニュージーランドの吉を定着させようと思っていたんです。

ところが。

前にもフェイスブックで書いているんですが、ニュージーランドから帰ってきてから、やたらと凶方に行かなくてはならなくなるんですよ。

吉方取ったのに、おかしい…

日盤なので、吉方を取ってから行っていましたが、1月に入って2度も天道付き・年盤大歳付き300kmの凶方へ泊まりで行かなくてはならなくなり、さすがにこれは何かのお知らせだろうと考えました。

それで気づいたのは、ニュージーランドに行く前、「ニュージーランド吉方取って、翌年は名古屋で沢雷随を取る!」と言っていたこと。

ニュージーランドから戻って来て「また3カ月も家を空けるのは悪いな」と思い、名古屋仮吉方のことは、まったく忘れていました。

しかし、この連続の凶方には必ず意味があるはず。決定打が出たのは、易でした。

「水火既成」

仮吉方のことをたてたわけではないけれど、地天泰を取ったことに満足してたら腐るよ と言われた気がしました。

そして、2度も行くことになった天道付きの凶方、星は、月盤八白・年盤三碧・後天定位七赤。全部、仮吉方で取ろうとしている星だったんです。

これは絶対、名古屋で沢雷随を取りなさい、というお知らせだ!と受け取りました。

今、名古屋から戻ってきて約1カ月経ちましたが、今回取った八白の作用で動きは完全に止まっています。でも、心の改革は進んでいると感じているんです。

吉方を取ったらどんなことが起きるのか。

それは本当に人それぞれ。その人にとって、一番必要なことが起こります。3回吉方をとってみて、それは断言できます。もちろん、星の象意の通りのことも起きますが。

そして、行ってみようかな?と思ったら、それは絶対行った方がいい、ということも。そこへ行く必要があるのだと思います。

結局、吉方であれ、凶方であれ、必ず自分にとって必要な方位へ行くんだということ、どちらもお知らせであることに変わりないということ、それを実感しています。