世の中のためって?8

前回、道元禅師の仏性のお話を、本当に、ほんっっの少し書きましたが、今回はユングについて調べてみました。

またウィキペディアに聞いてみると、

カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung、1875年7月26日―1961年6月6日)は、スイスの精神科医・心理学者。深層心理について研究、分析心理学(ユング心理学)を創始した。

と、あります。

道元禅師は1200年に生まれていますから、ユングさんは道元禅師の約700年後に生まれた方ということになります。日本では、河合隼雄さん(京都大学名誉教授・元文化庁長官)が日本人として初めてユング派分析家の資格を取得し、日本にユング心理学を普及させたそうです。AADD12E3-F1D9-424F-A3BF-6CA9A7ABAE70

ということで、こんな本を読んでみました。

ウィキペディアによると、

精神科医であったユングは、当時の精神医学ではほとんど治癒できなかった各種の精神疾患に対する療法の確立を目指し、心理理論を模索していた。フロイトの精神分析学の理論に自説との共通点を見出したユングはフロイトに接近し、一時期は蜜月状態(1906年 – 1913年)となるが、徐々に方向性の違いから距離を置くようになる。

と、あります。

フロイトとユングが研究していたのが、「無意識」です。「無意識」というのは、自分で意識できない意識を言います。この概念を最初に発見したのがフロイトです。ユングがフロイトの『夢判断』という書物を読んで感激し、フロイトを訪ねたことが両者の出会いとなりますが、後年、フロイトから離れ、独自の「分析心理学(ユング心理学)」を創始します。

では、ユングとフロイトの一番の違いは何でしょうか?学問上の理論の違いなどは、もちろん私は解説できませんので、私の勝手な解釈を書きます。それは、『「無意識」の範囲』です。

フロイトは、幼少期の体験やコンプレックス、受け入れがたい出来事が起きた時の心の傷などが、自分で自覚できない無意識の領域に押し込められている、とし、その抑圧されたものを意識化することによって、身体的な症状を治療しうる、と考えました。

これに対してユングは、フロイトの理論ではどうしても理解できない患者に接するうちに、フロイトの捉える無意識のさらに深層に、人類一般に共通の無意識がある、と考えました。これを「集合的無意識」といいます。

「潜在意識」、有名な言葉ですから、みなさんご存知だと思いますが、今、自分が認識している世界の意識を「顕在意識」と呼び、自分で認識できない意識を「潜在意識」と呼びます。この「潜在意識」に段階があり、フロイトの考える無意識(潜在意識)よりも、ユングの考える無意識=集合的無意識(潜在意識)の方が深部にある、というイメージです。

ここで、ようやく仏教に戻ってきます。

「世の中のためって?4」で書いた通り、仏教は、宗教だけでなく「仏教哲学」というものがあり、それは、経典を宗教書としてではなく、哲学書として読むものです。

というのは?

仏教は、潜在意識の段階のことを述べているんです。

ということで、この本を読んでみました。B284745A-9F21-441C-BB5C-290299A89313

難解―――!

続く・・・

世の中のためって?7

仏性、聞いたこともない、という方がほとんどだと思います。もちろん私もまったく知りませんでした。ウィキペディアによると、

仏性(ぶっしょう、梵: Buddha-dhātu)とは、衆生が持つ仏としての本質、仏になるための原因のこと。主に『涅槃経』で説かれる大乗仏教独特の教理である。覚性(かくしょう)とも訳される。仏教では、この仏性を開発(かいほつ)し自由自在に発揮することで、煩悩が残された状態であっても全ての苦しみに煩わされることなく、また他の衆生の苦しみをも救っていける境涯を開くことができるとされる。この仏性が顕現し有効に活用されている状態を成仏と呼び、仏法修行の究極の目的とされている。

わかりませんね~💦

一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)という言葉があるのですが、「ブリタニカ国際大百科辞典の解説」によると、

生きとし生けるものは,すべて仏陀になる可能性 (仏性) をもっており,すべて悟りうるという仏教の思想。諸説もあって,なかには仏性をもたないものもありうるとする説 (法相宗) ,草木などの精神性をもたないものにまで仏性があるとする説 (天台宗) ,精神性をもたないものは仏性をもたないとする説 (華厳宗) などがある。大乗仏教の『涅槃経』にみえる句。

と、あります。要するに、「一切の衆生に、ことごとく仏性あり=すべて生あるものは、ことごとく仏となる可能性を有している。」ということのようです。また一般的には、「仏のように情け深い性質。慈悲深い生まれつき。」と解釈していたりします。

この仏性論、4世紀くらいにできた涅槃経というお経の中に出てくるんですが、仏教の革命的な考え方だったそうです。仏はどこにいるか→お墓でもない、お寺でもない、自分の心の中にいる、という考え方なんだそうです。

でも、この思想が生まれて700年後の道元禅師は、これに異を唱えます。まず「悉有仏性」をどう解釈しているか。

ここからは村山先生に教わった内容です。

「悉有(しつう)」という世界がある。それは、「ことごとくある。いつでもどこにでもあるもの。」言葉を変えると、「宇宙中充満しているものがある」という世界。で、その充満しているものこそが「仏性」である、と。

「仏性」ということは、「仏の性質」とも読めます。仏の性質、ということは、当然、善意しかないですよね。だから、「この宇宙は善意で満ち溢れている。あらゆるものを幸せにしようという心しかない。」ということになります。

次に「一切衆生」。

道元禅師は、これを一切(いっさい)とは読みません。一切れ(ひときれ)と読みました。その一切れを、衆生という。

だから「一切衆生悉有仏性」とは

宇宙に善意が満ち満ちている。その一切れを取ったものが、人間の心なんだ、

ということになるそうです。

この道元禅師の解釈を、村山先生は絶賛されていました。

NHKの「100分で名著」という番組のホームページの、名著59に、道元「正法眼蔵」の回があります。興味がある方は、探してみてくださいね。

蛇足ですが、その第4回「全ての行為が修行である」の中に、

普通は悟りを得るための手段として修行をすると考えられているが、道元はそうは考えない。修行そのものの中に悟りがあり、悟りの中に修行があるとみるのである。この立場に立てば、行(歩き)・住(止まり)・坐(坐り)・臥(臥す)といった生活の一挙手一投足が修行となり、その只中にこそ悟りがあると道元はいう。

と書いてあります。お釈迦様が、苦行ではさとりはひらけない、と仰ったことにつながるなぁと思いました。

続く!

世の中のためって?6

お釈迦様が生まれたのは、約2500年前。

それから現在まで、たくさんの人が仏教を学び、さとりを開こうと努力し、それを文章に残してくださいました。いろんな方が、それぞれの解釈で経典や文章を書かれてますから、ものすごい数の経典・文章があります。そのすべてが、ありがたいお話なんだろうと思いますし、村山先生も、いろんな経典の解説をしてくださいました。

本当は、村山先生の解説を多くの人に知っていただきたいと思いますが、公の場にそのまま書いてしまうわけにはいきません。なので、村山先生の解説を引用しながら、私の感想を書いていこうと思います。

前にも書きましたが、私が師匠の仏教塾に通ったのは、ほんの1年ほど。あとは先生がDVDでお話されているのを見ただけ。その少ない中で、最も私が「なるほどー!」と思ったお話を書こうと思います。

それは曹洞宗の開祖、道元禅師の「正法眼蔵」という仏教思想書の中の、「仏性の巻」です。

この「正法眼蔵」、難しいので有名なんですよ。全部で87巻あるのですが、その中でも最も難解なのが「仏性の巻」と言われています。それを私が書こうとしている・・・。めちゃくちゃ緊張します。手が震える思いですが、えーい、書いてしまえー!

道元禅師は鎌倉時代の人です。1200年にお生まれになりました。お釈迦様の教えが始まった頃から1000年以上経って生まれた、ということになります。この1000年以上の間に仏教も進化を遂げ、様々な素晴らしい教えが出ました。が、そこを全部すっ飛ばして、いきなり道元禅師の話にいきます。

まず、ユング、という人のことは、みなさんご存知だと思います。19世紀最大の天才と言われる心理学者ですね。

仏教と何の関係があるのかって?

実は、このユング心理学と道元禅師の仏性論は、同じことを述べているのだそうです。

続く!

世の中のためって?5

さて。『さとり』を開く。言葉としては、ほとんどの方がご存知ですよね。

では、『さとり』とは?

「ブッダの説法の根本は、その悟りの体験を言語化して伝え、人々をその境地に導くことにあったとされる。この悟りに到達することが、後代に至るまで仏教の根本目的であるとされる。」

ウィキペディアから引っ張ってみました。おー、なるほどー、わかったよ!という方は、たぶんいらっしゃらないと思います。

まずだいたい、『さとり』とは何かって、さとった人にしかわからないですよねー

で、仏陀(=さとりの境地に達した者)は、この世でお釈迦様ただひとりなわけです。

残念!終了!・・・というわけにはいかないので、まずはお釈迦様がさとりを開かれた時の様子を書いてみます。

「シッダールタは王族としての安逸な生活に飽き足らず、また人生の無常や苦を痛感し、人生の真実を追求しようと志して29歳で出家した。」

これもウィキペディアからお借りしましたが、そうです、お釈迦様は王子様だったんですよ。なのに、その地位を投げ出して、6年もの間、苦行をされたそうです。さとりを開くために。すごいですよね。もうこの段階で、真似できません😔

で、苦行って、ウィキペディアによれば、

呼吸をしばらく止める修行

太陽の直射日光を浴びる修行

座ろうとすれば後ろへ倒れ、立とうとすれば前に倒れたり、片足立ちをするなどの激しい肉体運動

減食によって食欲を抑制する断食修行  など。

と書いてあるんです。など、ですよ。他にどんな苦しい修行をされたんでしょうね💦  この苦行をすることでお釈迦様は『さとり』を開かれたんでしょうか。

いいえ、お釈迦様は、苦行では『さとり』を開けない、ということを悟られたんです。

「えーー!滝行とか、今でもあるけど、それでは悟れないんだ!」(私の心の叫び)

結構ショックですよね。でも、本当にそうなんです。村山先生も、「滝に打たれるぐらいなら、会社で人間関係に悩んだり、嫁姑バトルをしてるほうがよっぽど修行になる」と仰ってました。

ちょっと修行が身近に感じられませんか??

話を戻して。では、お釈迦様はどうされたんだろう・・・と思いますよね。

お釈迦様は、断食修行で生死の境をさまよい、川に流されてしまったそうです。そして、川を流れるお釈迦様を、スジャータという村娘が助けて、お釈迦様に乳粥を食べさせて蘇生させたそうです。

スジャータさん、あのスジャータは、ここから命名されたそうですよ。余談ですね。

それで生き返ったお釈迦様は、菩提樹のもとで瞑想し、『さとり』を開かれたそうです。

続く!