易講座のお知らせ

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易と仏教の勉強に明け暮れていると書きましたが、実は、名古屋で易講座を始めることになりました。

715日から始まるのですが、なんとこの日、日盤も月盤も線路なんです✨しかも吉方⭐️意図しても線路を揃えて始められないことがあるのに、偶然この日に始められること、本当に望外の喜びです❣️

易を習いたい、と仰ってくださった皆様に、心から感謝致します🙇‍♀️

ご興味おありの方、ぜひお問い合わせくださいね😉

どうぞよろしくお願い致します!

仏教塾第3回目レポート

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昨日、マインドズームの仏教塾に行ってきました。久しぶりに会ったみんなで食事をともにし、一緒に学んだ日々を懐かしく思い出しました。やっぱり仲間との語らいは楽しいですね🎵

でも、ひとつ、昔と違うところは、「これから何をしていくか」ということ。私の場合ですが、先生がご存命の間はとにかく学びたい一心でしたが、先生がお亡くなりになった今、「どうやってこれまでの学びを活かしていくか」ということを模索する段階にある気がします。みんな、それぞれの活かし方、考え方があると思いますが、それをお互いが応援しあえるような関係に変わりつつあること、きっと先生は喜んでくださっているのではないかなぁ。

今回の仏教塾、とにかく深い内容のお話で、今後の自分がどの方向に進んだらいいのかのヒントをたくさんいただきました。

シンクロニシティ、共時性・共時的と訳される言葉ですが、自分の心の中にあるものが目の前の現実の中に現れてくること、を言うそうです。釋さんの解説から、「ただ、欲しいものがすぐ手に入る」とか、そういった軽いものではなく、「今、自分が何をするべきか、自分にとって必要なもの、学ぶべきものが自然にやってくる」というように解釈しました。そして、釋さんご自身もそうだとおっしゃっていましたが、村山先生からのお導きとしか思えないような出来事が多々起こっています。「自分の命より大切と思うような人を亡くした時、初めてわかることがある」というお話もしてくださいましたが、まさにシンクロニシティ、先生がこの世からいなくなって、初めて自分の進むべき道を真剣に考え始め、真剣に考え始めたからこそ、今までわからなかった自分のやるべきことを見せていただけている気がします。それは私だけでなく、みんなが感じていることだと思います。

また、「生きる意味はわからなくていい。それを探すために生まれてきているんだ。」というお話もありました。沖縄のセミナーに参加した時、村山先生は「何のために生まれてきたのか」とおっしゃったんです。その言葉はいつも私の中にあったのですが、正直、「このためです!」と言い切れるほどの自信はありませんでした。でも釋さんのお話を聞いて、「何のために生まれてきたのか」を知るための道を歩んでいる、という自信になりました。

「自分の頭で理解できることというのは、自分の範囲内のこと。それを超えたところのものが、本当の学びということ。」

私は、自分の頭で理解できなくてはイヤだ、と思っていましたが(六白だし😅)、わからないことをわからないままでいていいんだ、と受け入れることで、自分の道に自信を持つことができました。釋さんに、村山先生に、感謝です!

易と仏教

最近、易と仏教の勉強に明け暮れております。合わせて学ぶことで、より実践しやすくなると感じるため、さらにのめり込む。目が疲れるー😅

仏教といえば、今週末、マインドズームで仏教塾が開催されます。とっても楽しみ🎵どんどん深いお話になっていて、今回はどんなお話が聞けるかしら⭐️

実はもうひとつ、オンラインでの仏教塾も受けていて、こちらもとっても楽しいんです。ちょっとご紹介しようと思うのですが、前回のお話の中で一番心に残ったのが、「悪魔はいつも自分の中にいる」ということ。お釈迦様が悪魔を追い払った、というお話もありますが、それは外から来る悪魔を追い払った、というよりは、自分の中の悪魔を追い払った、ということだそうです。

ちょっとくらい、いいかな?  とか

今回だけは目をつぶろう  とか

悪魔って、ほんの些細な気持ちのゆるみのことも指していて、お釈迦様も自分との戦いがあったんだなぁと、少し親近感が湧きました。

今年は「天雷无妄」に大三合がついていて、全人類、この心構えが大切なんですよ。特に六白!いろいろあるけど、頑張らなきゃ💪

先日、気学仲間が東京に来てくれて、久しぶりにゆっくり気学談義をしました。方位がどんなふうに顕現したか、とか、現象をどんなふうにとらえるか、とか、いろんな話が出来て、本当に楽しい時間でした。仏教では「仲間」をとても大切に考えるんです。苦しい時、くじけそうな時、落ち込んでしまった時、仲間と話すことで気持ちを切り替えることが出来ます。例えば、「吉方を取ったけど苦しい」なんて時、仲間が「私も同じ状況!」と言ってくれると、本当に勇気が湧くんです。気学を勉強している方、どんどん仲間を増やすといいですよ😉

戦略と戦術

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今日から「令和」ですね!月盤も八白中宮になる5月に「令和」に切り替わるという、その初日に、令和とはまったく関係のない話を書こうとしております😁

GW中、珍しく昼間にテレビを見ていたら、「知恵泉」が再放送されていました。内容は、「頼朝と義経」。見るともなく見ていたら、なんと、戦略と戦術の話だったんです。

あっ、そういえば戦略と戦術、ほったらかしだったー!と、腰を据えて見ることに。

頼朝と義経といえば、素晴らしい戦果をあげた弟・義経が、兄・頼朝に追われ、奥州で非業の死を遂げる、という悲劇として語られています。非情な兄と可哀想な弟、というイメージが一般的ではないでしょうか。いやいや、ただの私の勉強不足ですかね💦

しかし、実際は違ったそうです。

まず、一の谷の戦いの勝利。鵯越の逆落としで戦いに勝ち、その後、後白河法皇から与えられた検非違使の官職を受けます。

次に、屋島の戦い。ここでも義経は、あっという間に源氏に勝利をもたらします。那須与一の扇の話が有名ですね。

そして最後の決戦、壇ノ浦の戦い。最初は苦戦したものの、源氏の勝利。清盛の妻・時子と幼い安徳天皇が海に身を投げる、という悲劇的な結末となります。

学生の頃、歴史にまったく興味がなかった私は、「こんなに活躍したのに兄に討たれるなんて、嫉妬かな?」と考えていました😅 でも、「判官贔屓」という言葉もあるくらいですから、そう考えた人が多かったんでしょうね。

ここから「知恵泉」で学んだことです。

まず一ノ谷の戦い。ここで義経は検非違使の官職を喜んで受けますが、頼朝からしてみたら、武家政権を築く構想があるのに、自分の弟が何の相談もなく朝廷から官職を受けてしまっては示しが付きません。激怒!なわけです。

次に屋島の戦い。ここでは、頼朝は義経に、「ゆっくり攻めろ」と司令を出していたそうです。なぜかというと、家臣に恩賞を取らせるためには領地が必要で、ゆっくり攻めることによって平家に加担してくる武将を討ち取って、家臣に与える土地を増やそうと考えていたそうなんです。ところが!義経は頼朝の命令を守らず、あっさり勝ってしまったわけです。また頼朝、激怒!ですよね。

そして最後の壇ノ浦の戦い。この時、頼朝は「三種の神器を確保すること」を至上命令としていたそうです。それは、三種の神器を手に入れることで、朝廷との交渉を優位に進めるためだったとのこと。なのに!義経は命令を無視し、三種の神器は海の底に沈み、剣は結局見つけられずに失ってしまいました。しかも安徳天皇の命も失ってしまったわけです。それは当然、激怒!でしょう。

梶原景時が告げ口をしたことが仲違いの原因、とも言われていますが、梶原景時の告げ口というのは、「義経は独断専行で手柄を独り占めし、自分だけの武功と思っていて、軍の規律が守れない」というものだったそうです。村山気学を学んだ方ならおわかりですよね。「俺がやった!」というのは絶対ダメなんです。

これ、義経は戦術に長けていたから戦に勝てたけど、戦略を描けなかったから頼朝の真意が理解できなかった、ということなんですね。そして、その原因として知恵泉では、頼朝は小さい頃から京の都にいて朝廷の人間模様をみてきたけど、義経は鞍馬山にこもっていたため人の気持ちを察することができなかった、ということを上げていました。確かに、そうかもなぁ。

歴史は時代によって解釈が変わるものだから、どこまで本当のことかわかりませんが、非常に勉強になりました。やはり、歴史に学ぶ、過去に学ぶということは大切ですね。